2005年12月25日
日本 1974-9-7 〜 ジャズ/フュージョン フラメンコ ガットギター フィンガーピッキング
John Lennon がかつてインタビューで「ロックはブルースからとても多くのものを受け継いでいる。でも僕の音楽はブルースそのものじゃない。僕は黒人ではないからだ。」というような事を言っていた。日本人の若きフラメンコギタリスト、沖仁が紡ぎ出す音楽は John のこの言葉を思い出させる。
音楽好きの両親のもとに生まれ、14歳の時にエレクトリックギターを手に Boowy のコピーなどを始める。次第にひとりでのパフォームが可能なアコースティックギターに惹かれて行き、高校卒業後にはカナダでクラシックギターを学ぶが、帰国後に Vicente Amigo を聴いて衝撃を受ける。すぐにスペインに渡り、武者修行を開始。実際にジプシーのコミュニティに飛び込み、散々な目にあったりしながら(^^;)ギターの腕と音楽的アイデンテティを磨いて'00年に帰国。ボーカリストとタッグを組んだフラメンコユニット Taka y Jin 結成を皮切りに、フラメンコをバックボーンにした独自の音楽形成の旅を今なお続けている。
フラメンコは、ジプシーという流浪の民が漂泊のさきざきで迫害や偏見の中、誇りと自我を守りながら生き抜く過程で発生した軋み、ノイズである。天才 Paco de Lucia にしても、伝統と変革の狭間でもがき苦しみながらこんにちのギタースタイルを築いたことはよく知られている。祖先の血と魂が織り込まれた音楽を変えていくことが、どれ程の重さを伴うものなのか。そんな立場から遠くはなれた日本人がフラメンコギターを手にとったとき、面白半分の換骨奪胎が許される訳もないが、リスペクトを抱きながら自由に羽ばたける独自の空間がきっと、ある筈だ。沖仁は、常にそのことに自覚的でありながら活動を続けているアーティストだ。旅路の末に彼が辿り着く場所は、どんな風景をしているのだろうか。
'05年発表のセカンドアルバム。オクターブ奏法から始まる、ジャズ・ルンバとでも呼べそうな意表を突いたトップナンバー(ボーカル入り)が、このアルバムを象徴しているように思える。指がよく動くギタリストがフラメンコ風フレーズを連発するフュージョン音楽を嫌という程聴いてきたが、このアルバムの一曲一曲には「此処ではない何処か」に辿り着こうとする沖仁の、迷いや好奇心、望郷感などが感じられる。正直、試行錯誤以上のものを感じることは出来ない。しかし誰の耳にも明らかなギタープレイのずば抜けた実力と遠くを見つめる彼の眼差しが、いつか届けられる至高の一曲への希望を抱かせる。暖かみがあってじっくり聴かせるギターソロのグラナイア「Guri-mama」や、フラメンコとラテンとソウル・ファンクが闇鍋状態になってる「Rumba Swings」が良かった。
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